masakazu’s diary

40代最後の歳。気ままな日記を始めることにしました。

2019年1月23日・・・74歳と5日

前回の日記で、父が”残念な病院”に入院していると書きました。

1月23日朝、「主治医の先生も入院しているからためらっていたけど、
他に往診してくれる先生が見つかった」ので自宅に引き取って、
訪問看護をお願いしようと母と話して職場に向かったのが7時前。

インフルエンザが大流行しているからという理由で、
お見舞いに行かせていなかった息子たちも、退院前に一度ということで
11時ごろ病床の父を見舞いに行く予定をしていました。

「父の容体が急変したと病院から連絡があった」と
長男から電話が来たのが7時49分ごろ。

すぐに状況を話して退社し、病院に着いたのが8時30分ごろ。
すでに息子たちは泣いており、私が手を握ったときにはもう冷たくなっていました。

後で息子たちに尋ねたら、息子たちが到着した時には
もう息を引き取ったあとだったみたい。

 

「危篤だからすぐに家族を呼んで」

ではなく

「気が付いたら死んでたので連絡して」

だったようです。

 

死亡診断書の死亡時刻は、主治医が出勤して病室に来た8時45分。
死因はナント【老衰】!
地域連携室には【脱水と低栄養】と連絡していたみたいだけど、
さすがに死亡診断書に、そうは書けなかったか。

治療の状況を母から聞いて、二人で
「このまま干からびさせて、死なせるつもりだろうか?」
と話していましたが、まさにそんな感じ。

入院してたった二週間で、こんなに人間って痩せられるのか?
と目を疑うぐらいの痩せ方でした。

骨盤もろっ骨も浮き上がり、お腹は臓器を全摘出したのかというぐらい凹み、
お腹と背中がくっついたを地で行くような状態。

健康な人間でも、この短期間でそんな痩せ方したら死ぬで。
脱水や低栄養にならんように入院させてたのに。

思えば約6年前、この医療法人(病院は違うけど)。
最初に脳梗塞を起こしたときに、専門医の紹介状を持って精密検査をお願いしたら、
若造が「必要ない」とか訳分からん事言って帰されたのが始まりだったな。

 

いろいろ思い出すと納得いかないことがありすぎるので、
この辺にしておきます。

とりとめない愚痴を吐いてしまって申し訳ありません。

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自室の窓から。写っている家はご近所さん。積雪が昨日で助かりました。

今回の父の死は突然すぎて、何の備えもなく混乱しました。
伝えたい言葉も伝えられず、手紙に変えて棺に納めました。

”ありがとう”は元気なうちに、たくさん伝えてあげて下さいね!